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風邪っぴき女性史

先週あたりからずっと,喉がひりひりしていておかしいなと思っていたのだが,今日ついに鼻に来て,ああ風邪をひいてしまったと認めざるを得ない状況になってしまった。病院というか,学校の保健センターに行こうかとも考えたのだが,やはり家でおとなしく安静にしておくことにした。

理由は今まで何度も書いたし,これからも何度でも書こうと思うが,こちらの病院システムは本当に使えないのだ。まず,基本的に予約制であり,しかも2週間後とかでないと予約が取れない(風邪ならそのうちに治ってしまう)。急患の場合は人数を限って当日受け付けるが,その限られた枠を勝ち得るために病人を1時間近く寒空の下に立たせて並ばせるという非人道的な行いをする。しかも,こうして寒さと体調不良のために震えながら受診の権利を勝ち得ても,得られるものは市販の感冒薬の名が書かれた処方箋である。元気な時に感冒薬を買い置きしておいて,風邪をひいたらそれを飲んで,マスクをつけて*1安静にしておく方がよほど治りが早い。今,ここまで書いて怒りのあまり震えてきた。なぜこんな目に遭わなければならないのだ。

風邪をひいた理由はだいたいわかっている。TAとしての最後の授業を控えた高揚のあまり,若干寝不足気味なのにも関わらず,先週の月曜と火曜に2日連続でジムに行き,しかもいつもよりハードなトレーニングを行ってしまったことである。喉の調子がおかしくなったのはそのすぐ後なのだ。因果関係を疑わない方がおかしい。私はものすごく体が丈夫な方ではないため,自らのキャパシティを超えたことをすると,すぐに体が悲鳴を上げる。大きい病気をしたことはないので,それでいいのかもしれないが。

そういうわけで,今日は家で以下の2冊を読んでいた。

The Women's Suffrage Movement: New Feminist Perspectives

The Women's Suffrage Movement: New Feminist Perspectives

 

 

Girl Trouble: Panic and Progress in the History of Young Women

Girl Trouble: Panic and Progress in the History of Young Women

 

 先日,お世話になっている先生から女性史関係の雑誌に何か書かないかとのお誘いをいただいたので,こちらの日記で以前書いたSuffragetteの映画評*2を少し手直しし,エッセイのコーナーに投稿させていただいたのだが,すると予想以上に好評をいただいたようで,加筆して「研究ノート」として投稿しないかとのご提案をいただいたのだった。こんなくだらない日記が研究論文と化すだなんて,何でもいいから思考を書きとめておくものである。

しかし私自身は婦人参政権運動の専門家ではないので,より幅広く「女性が『活動』に加わるモチベーション」をテーマにさせていただくことにしたのだった。とはいえサフラジェットを取り上げるのだから,それについてきちんと勉強しないわけにはいかない。というわけで,以前読んだことのあるジューン・パーヴィスのこちらの文献を読み直し,さらに先日saebou(id:saebou)さんから教えていただいたキャロル・ダイハウスのGirl Troubleも読んで勉強している次第である。どちらも私の蒙を啓く内容で,ものすごく面白い。政治活動や文化活動の主力はミドルクラス女性とされてきたが,ミドルクラス女性はほかの階級の女性よりも強く「家庭」の呪縛を背負った存在であり,さらに教育の面から言っても,ミドルクラス女性が基本的には学校に行かずに断片的な教育しか受けられなかったのに対してワーキングクラス女性は一応義務教育は受けていたと。したがってワーキングクラス女性の方が「身軽」だったという部分もあるようだ。サフラジェットとしての活動に関しても,暴力への親和性,また囚人としての取り扱いには階級による有意差が見られたという。なるほどなあ。

そしてこういう「モチベーション」の問題を考える際に,そのモチベーションが内発的なものであるとは必ずしも限らない,と言えるかもしれないと思った。これは最近の「新しい女性(New Woman)」研究でも言われていることだが,*3サフラジェットも新しい女性も,「私はサフラジェットになるのだ」「私は新しい女性になるのだ」と,自分で志向してそちらに近づいていく例ばかりではない。サフラジェットはともかく「新しい女性」は蔑称としても使われていた言葉なのだから,なんとなくそこに親和性を持っていたが活動には加わりきれていなかったくらいの女性が,「あの人はサフラジェットだ」「あの人は新しい女性だ」と周りから白眼視されることによってむしろ「そうか,私はサフラジェットなのか」「新しい女性なのか」と覚醒してしまい,そこからは迷うことなく過激な運動に身を投じていくということも多いのではないか。*4そういえば私自身も先日,数名の方から「フェミ」と呼ばれる光栄に浴したが,インターネット上で「フェミ」は蔑称のニュアンスを強く持っている。ところが私自身は自分のことを「フェミニスト」だとは思うものの,非常に中途半端な部類だと自覚しているため,「フェミ」と呼ばれることによって改めて「ああ,そうか,私『フェミ』なのか」と思った面もある。こうした自分自身の経験を踏まえても,レッテル貼りによってむしろその人のアイデンティティが強まってしまうということは大いにありうるだろうなと思った。安易に人を蔑称してはいけないということかもしれませんね。

……ということを論文にまとめようと思う。さっそく先生に連絡を取ろう。

*1:ちなみに,外でマスクをつけること自体も一般的ではない。マスクをつけなければならないのはよほど強い感染力を持つ病気にかかっている人であるというイメージらしく,「マスクをつけるくらいなら家にいろ」という考えであるらしい。

*2:

mephistopheles.hatenablog.com

*3:前にも書いたが,『女性とジェンダーの歴史』に新刊紹介を載せていただくこちら。

In Search of the New Woman: Middle-Class Women and Work in Britain 1870?1914

In Search of the New Woman: Middle-Class Women and Work in Britain 1870?1914

 

 

*4:人が外発的にアイデンティティや属性を得ることによるモチベーションの向上という意味では,たとえばこれも同じ話にまとめられるかもしれない。

mephistopheles.hatenablog.com