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幸せになってくれなきゃ困るぜベイベー

昨日小保方本の感想を書いたが(たくさんの方にご覧いただいたようで,ありがとうございます),実は人の手記を読んでいる場合でもなくて,私もまた手記(というか留学体験記)を書かなければならないのである。原稿の締め切りは3月末までと言われていたが,こんなもん年末年始の帰国中にでも書きますよと今年の編集長に大見得を切った。そして今の時点で,まだ半分ほどを余している。困った。情報の取捨選択が難しい。私の留学などほかの留学生に比べればすこぶる順調な部類なのに,それでもなお難しい。楽しい留学だったから書きたいことがたくさんあって絞りきれないのか,それとも情報の選別がヘタクソなだけなのかわからない。しかし後者だったとしたら,研究者として一大事である。

さて,公私の別がきわめて曖昧な私の日常を無理やり大別するとしたら「公」の方は上記の通りなのだが,「私」の方はというと,自分の婚活はそっちのけで,人様の恋愛だの婚活だののお世話ばかりしていることに気づいた今日この頃である。私に恋愛相談を持ちかけるのなど,例えて言うなら中学生にコンサルティングを依頼するようなもので,率直に言ってどうかしている。しかし何を隠そう,私はひとさまのお役に立つことが好きで仕方ないのである。もしかして私を必要としてくださっているのだろうか,と思うと,どんな用事であっても粉骨砕身する「社畜」的習性がある。最近は研究者仲間のお相手探しを引き受けたため,自分の相手を探すよりも必死になって,持てる限りのあらゆる伝手をたどった。その結果,高校までの同級生からよい返事をもらうことができた。この達成感と言ったらなかった。人を「紹介」するというのはとかく面倒だからと忌避する人も多いが,自分の努力によって人と人がつながるというのは楽しいものである(と,少なくとも私は思う)。

それに,今回紹介する側にまわってみてわかったことがある。友人からの要望が割とはっきりしていたので,とてもやりやすかったということである。これは何も,彼女の理想が高かったとかそういうことではない。「自分はこうだし,これからこういう人生を送りたいから,こういうバックグラウンドの人が望ましい」というような希望がはっきりしていたし,それも理にかなったものだった。「誰かいい人いたら紹介して」などという曖昧なことを言われていたら,なかなか難しかっただろう。これはおそらく,結婚とか恋愛とかにとどまらず,自分の人生に明確なヴィジョンがあるかどうかということにつながるのだと思う。私も今後,自分が誰かに紹介を請うなどすることがあったら,きちんと「自分はどうなりたいのか」を考えようと思った。いろいろ勉強になるものである。

こうして,コングラッチュレーション幸せになってくれなきゃ困るぜベイベー素晴らしい未来へ愛を叫べ,とばかり友人の世話ばかり焼いているのだが,気づけば今年もバレンタインが近いのであった。さて私はどうしようかなあ,例年通りダブリンの紀伊國屋書店的存在,ホッジス・フィギスのショーウィンドーに貼られた,お客様の投稿によるラブ・ポエムを楽しみにしようかなあ……。ダーリンダーリンダーリン,泣きながら笑え。