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So you want to be an Historian?

うちの大学の,というかうちの学部の博士課程院生は,やたらと志が高い。揶揄的な文脈で用いられる「意識高い系」ではなく,本当に立派だと思う。そもそもみんなとても勤勉である。もはやスポ根ですらある。たとえば院生室では,私と背中合わせに座っているクロエは"Things to do before Christmas(クリスマスまでに終わらせること)"というリストを机の上に置いていた。何がかっこいいって,クロエは喫煙者なのだ。いや,喫煙者が勤勉でスポ根であっても本質的な問題はないはずなのだが,私には相反する概念を乗りこなしているように見えて痺れる。また,私と向かい合せに座っているカナダ人留学生のキャロラインは,机に「常に心がけるべきことリスト」を貼っていて,その筆頭に"ALWAYS SEEK FOR THE OPPORTUNITY OF FUNDING(助成の機会をいつも探すこと)"と書いてある。もうなんか,ひたすら頭が下がる。

さて,今日は歴史学部院生委員会がワークショップ"So you want to be an Historian?"を開催してくれるというので行ってみた。"So you want to be an Historian?(それで,歴史家になりたいの?)"とはまたすごいタイトルであるが,歴史学部の講師1人,ポスドク1人,1年ほど前に博士を終えたドクターが1人,つまり歴史家の夢を比較的最近叶えた3人に,ポスドク応募のコツやら就職活動のコツやら一般的な心がけを聞いてみましょうという旨の,まあ言うなれば「勉強会」である。これ,就活の時にそれこそ「意識高い」学生さんたちがするようなやつじゃないか。

しかし蓋を開けてみると,状況こそ違えど,考えたり悩んだり心配したりすることは日本の院生とまったく変わらない感じだったので驚いた。おそらく日本で同じようなワークショップが開かれたとしても,院生たちからは同じような質問が出るのではないか。物見遊山程度のつもりで出向いたのに,気づけば必死でメモを取っていた。以下,1時間半のワークショップで出た質問のうち,代表的なもの。

  1. ポスドクのプロジェクトは,トレンドに沿わせていく必要性があるか。たとえば最近だと,"transnational"や"interdisciplinary","gender approach"などの言葉がよく聞かれるが。
  2. 就職の際,どのくらい充実したCV(Curriculum Vitae,つまり履歴書) が必要なのか。どのくらいで「十分なCV」と言えるのか。学会発表は何回くらいやっておいた方がいいとか,そういう基準はあるか。
  3. 投稿論文(Publication)に関してはどうか。投稿の必要はあるか。
  4. 自分の研究を普及させる(dissemination)にあたって最適な媒体は何か。
  5. 今度はじめて学会発表をするのだが,発表をうまく乗り切るコツがあったら教えてほしい。
  6. TAなどで教歴を積むにあたり,トレーニングなどは受けた方がよいか。

だいたいこうした質問に3人が答えていく形でワークショップは進んだ。

日本と大きく異なるのは,たとえば上のリストで言えば2と3になるだろうか。常勤以上の就職において,日本ではとにかく業績が求められるし,そのために投稿論文もある程度の本数出しておかなければならないが,こちらでは少なくともキャリアの駆け出しにおいて,業績はさほど求められていない。「登壇者」の3人も,みんな「博論の仕上げ段階で1本くらい出したけどそれだけだし,優先すべきは博論なので焦らなくていい」という意見であった。こちらではむしろ,TAの経験など,教歴が重視される傾向にあるらしい。そこは日本と比べて大きな違いではあるが,心配している内容自体はまったくもって日本と同じである。違うところで言えば,4はかなり状況が違うかもしれない。「研究の普及」とはつまり,一般向けアウトリーチのことである。これに関しては最適な媒体と考えられるものの例がいくつか挙げられたのだが,アウトリーチは推奨されてはいるものの,実際のところ「手が空けばやればいい」くらいである日本とはかなり状況が異なるなと驚いた。

このワークショップの最後も最後になって,3人の「登壇者」が「一般的に気をつけるべきこと」みたいな感じで歴史家志望者たちの心構えを説いたのだが,これがかなり面白かった,というか興味深かった。特に面白かったのは,登壇者3人のうち2人の女性の意見である。まず講師のホロハン先生は,「私が常勤職に就いた時私は36になっていた」と切り出す。それまで経済的なストレスはもちろんだし,何より同年代の人々が当たり前のようにやっていることは諦めなければならなかったりする,と語り始めた。たとえば私は結婚式も挙げていないし云々,とやたらリアルな30代女性のご意見を述べられたのち,最近日本の女性が片づけに関する本でも言っていたように,人生にプライオリティ(優先順位)を付けなければならない,と結論していた。「日本の女性」が出した「片づけに関する本」とは,無論こちらである。

The Life-Changing Magic of Tidying Up: The Japanese Art of Decluttering and Organizing

The Life-Changing Magic of Tidying Up: The Japanese Art of Decluttering and Organizing

 

 近藤麻理恵『人生がときめく片づけの魔法』の翻訳版。この本はこちらでも確かに大反響を呼んでいるのだが,*1まさかこんなところで,しかも一般的な人生論として言及されるとは,こんまりもびっくりであろう。そして,まあ当然ではあるのだが,「人生にプライオリティを付ける」だなんて。私自身は何の迷いもなく研究者の道を選んだわけだが,改めて考えるとなんと重々しい選択であったことだろうか。思い起こしてみれば東大で大学院に進学したとき,新学期の説明会で当時の助教は我々新M1に対し,「今交際している相手がいる人は早めに結婚しなさい」と説いていた。我々はぽかんとしていたものだが,やはり院に進学するということは,ライフデザインすらも左右する一大事であったのだ。ということに,長い学生生活を終えようとする今,ようやく気づこうとしている。まあ,気づいたところで,悲観的になるわけでも楽観的になるわけでもないのだが。つまり"What you want from life?"について考えなければならないとまで言われ,ワークショップの議題はとてつもなく大きいものとなった。よし,次のワークショップは"What you want from life?"をテーマにしよう,と茶々が入ったくらいである。もはやそれ,新興宗教のワークショップである。

そしてもう1人の女性であるアン・マリーが言っていたことも物凄かった。彼女は私たちとそんなに変わらない年齢だと思うのだが,1児の母である。で,アン・マリーの話によれば,彼女が博士に入るとき,彼女の娘は1歳半だったため,フルタイムで博士をやるのかパートタイムで博士をやるのか,そこから考えなければならなかったという。院生の間に結婚したり出産したりする例は,こちらでは特に珍しくもない。むしろ戦略的にそうしている節もある。しかし博士に上がる時点で1歳半の子供がいるというのは,また話が別である気もする。そんな小さい娘を抱えて正規の年限である4年で博論を仕上げるなんて,怪物か,アン・マリー。

以上のような話で,1時間半はあっという間に過ぎた。濃密な会であった。日本の事情と似たところもあり全然違うところもあり,また博士と一口に言ってもそれぞれの状況によって異なり(それこそアン・マリーとか),今回は3人の話を聞くという形ではあったが,それぞれに話し合えばおそらく話が尽きないだろうと思われた。たとえば私の博士後の予定*2とか,話したらみんなどんな反応をするだろうか。そんなことを考えるともう少し話したかったし,会のあとはみんなでパブに行くというので,珍しく私も行こうかなと思い,仲のいい子たちに行くかと尋ねると,どいつもこいつも行かないという。おい。不服ではあったものの,それなら仕方がないと帰宅した。定期的に親密な集まりを持ちつつ,根本では文系らしく個人主義である。この距離感はとても好きである。

*1:たとえばこちらは私の友人であるナサのブログ。彼女は最近エコとミニマリズムに傾倒しており,服を処分した結果,ダブリンの家に2着,実家に1着の計3着しか残っていないという。……やりすぎじゃないか?大丈夫か?また,こんまり本は以下のようなパロディ本まで出ている。欧米流のアホである。

The Life-Changing Magic of Not Giving a F*ck: How to Stop Spending Time You Don't Have with People You Don't Like Doing Things You Don't Want to Do

The Life-Changing Magic of Not Giving a F*ck: How to Stop Spending Time You Don't Have with People You Don't Like Doing Things You Don't Want to Do

 

 

*2:

mephistopheles.hatenablog.com