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人の言葉づかいをとやかく言うものではないよなあ,という話

先日,とある学術誌の特別号に応募しようと思ってアブストラクトを送ったら,フルドラフトを審査して決定するとの返事がすぐに来た。それに対して承知しましたと返事をしたのだが,そのあと編集者から続けて「原稿を提出する前に誰かに英語をチェックしてもらうことを忘れないで」とメールが来たのだった。もちろん,アブストラクトは友人にネイティブチェックしてもらってから送っている。念のために言われたのだとは思うが,なんか気分が悪いなと思いながら,「英語を直してくれる友人がおりますので,もちろん提出の際にもそういたします」と返事をした。するとさらに,「失礼なことを言っていると思われていないといいのだが,あなたがネイティブスピーカーでないことは明らかだし,そのことは英語ジャーナルに投稿する際には不利にはたらくと思うので」とメールが来たのだった。

彼女は本当に,親切のつもりで言ったのだろう。しかし私は率直に言って,まあまあ気分を害した。もちろん,英語がヘタクソだと暗に言われたような気分になったのはあるが,それだけではない。英語だろうと何語だろうと,母語でない言語で文章を書き,それを公刊するつもりなのであれば,原稿の時点でネイティブチェックを受けるのは当たり前であるし,最低限の礼儀である。それすらも知らない人間であるかのように扱われたのが心底不愉快だったのだ。

こういう類の,「おそらく悪気はないのであろう」発言に気分を害することはたまにある。よくあるのは,母語じゃない言語で博論書こうとするなんてすごい!」と,こちらの人から無邪気に言われることだ。気にしない人もいるだろうが,私はこういう発言が非常に気に障る。だって,言語の問題ではないから。私はアイルランド史をやっているからアイルランドにいて,アイルランドの大学で学位を取ろうとしているのだからもちろん英語で論文を書く。ごくごく当然のことをしているに過ぎない。フランスの大学で学位を取るならフランス語の論文を書くだろうし,ドイツで学位を取るならドイツ語の論文を書くだろうし,もちろん日本で学位を取るなら日本語で論文を書くだろう。なんら不思議なことではない。それをなぜだか,ウルトラC級の芸当ででもあるかのように言われる。博士論文レベルで研究している人を,研究の内容ではなくその「母語じゃない言語で博論を書こうとする」涙ぐましい勇気や努力を称えるなんて,そんな無礼があってたまるかと思ってしまう。要するに,一人前の研究者として見られていない気分になってしまうのだ。彼らが実際どう思っているのかは知らないが。

やっぱりこういう言動に触れるにつけ,たとえ悪気はないにせよ,人の言葉づかいをとやかく言うものではないよなあという思いを新たにする次第である。たとえば私は以前にもこういう内容で少し書いたことがある。

mephistopheles.hatenablog.com

言語には実は隠然たる上下関係があり,その人が自然に使う言葉を無邪気に面白がったりするのって,あまり快く思わない人間もいるのだぞという意味で書いたのだが,やはり言葉には使う人の人格やバックグラウンドがものすごく強く反映されるわけで,いわばアイデンティティの具現化と言ってもいいと思うのである。それに気安くコメントするようなことは,やはり避けた方が良いのではないかと思う次第である。

最近見た中では,これなんかもその例である。私はこれを見て仰天した。ハリー杉山に対して,「いったいどうしてそんなポッシュな英語を話すの?ポッシュな英語なら私も聞くことがあるけど,あなたくらいポッシュなのは聞いたことがないよ。テレビ向けにやってるの,それとももとからそうなの?」とフォロワーの一人が質問をし,それに対してハリー杉山が「ポッシュすぎるとは思わないよ。ただ学校でそう習っただけで。そんなに変?(笑)」と答える会話で,一見ふつうのやり取りに見える。しかしイギリスに厳然たる階級差があり,それが言語に反映されるというのは,少しでもイギリスのことを知っている人なら誰しもが知ることであろう。*1

このやり取りにしても,ハリー杉山はただ素直にフォロワーの質問に答えているだけなのだが,彼は紛れもない上流階級の子弟で,名門カレッジを卒業しており,したがって彼が言う「学校で習っただけ」には実は字義以上の意味がある。それにしてもこのフォロワー,なんということを聞くのだろう。そもそも"posh"は,ニュアンス的には「気取った」とか「お高くとまった」など否定的な意味合いで使われることが多い言葉であり,決して純粋に「オシャレな」の意味ではない。したがって,面と向かって「あなたポッシュね」と言うことは普通はしない(たとえばごく仲のいい友達くらいになら言うかもしれない)。しかも,上記の通りで,ハリー杉山の来歴を考えれば彼が「ポッシュ」な英語を使うことは至極当然であるはずで,Twitterをフォローするほどだというのに彼のバックグラウンドも知らなかったのだろうか,などといろいろ不可解である。これ,ハリー杉山は受け取って不愉快にならなかったのだろうか。私なら,たぶんブロックしていただろう。

これらはもちろん,私の度量が狭いせいである可能性も多々あるため,一般にそうであるはずだなどというつもりはさらさらない。しかしこのように感じる人間もいるということが,もう少しだけ世の中に認知されてもよいはずではないかとは思う。なかなか長い道のりではあるのかもしれないが。

*1:

 たとえばこれに詳しい。

階級という言語 イングランド労働者階級の政治社会史 1832-1982年

階級という言語 イングランド労働者階級の政治社会史 1832-1982年